生きていく

◇ある日の夜◇
友人から突然電話がありました
話の内容から俺はちょっと変だなと思いながらも
あまり気にもとめずにいたのですが
一週間も経たずにその友人が死んだと
自分から命を絶ったと聞いた時
言葉が出なかった
ドラマのように頭の中が真っ白になって
なんで気が付かなかった
なんで気付いてやれなかった
思い止まらせる事が出来たかもしれなかった
坊さんの俺に何かを求め
助けを求めてきたのに
俺は気付けませんでした
 
◇中学卒業以来◇
30年近く全く連絡を取っていなかった
同級生の家族から連絡がありました
その同級生は生きることにとても悩んでいて
『お坊さんが同級生にいるので連絡してみてほしい』
と言っているが
本人は連絡できる状態にないので
代わりに連絡してきました
と仰っておられました
 
◇生き残された男◇
私は2021年7月七夕の前
心筋梗塞でぶっ倒れました
車を運転中に胸に激痛が走り
狭い道で他の車に迷惑だと思いつつも
ごめんなさいと思いながら車を止め救急車を呼びました
コロナ禍で救急車がなかなか来られないと言われていた中
携帯電話で話をしている最中すぐに来てくれました
また、病院の近くだったこと
その日は心臓の先生がいらっしゃったことで
すぐに治療してもらえました
後で病院の方から
『あんたラッキーだったね』って言われました
何もかも良い方向に向いていたのだと思います
 
『生き残された』
表現はおかしいかもしれませんが
『能尚、おまえは生きとれ』
と言われたのだと思います
俺はラッキーな事に生き残された
俺の使命は坊さんなんだ
何かあった時に思い出してもらえる人間なんだ
 
せっかく人として生まれてきたのに
なんでもありのこの時代に生まれてきたのに
と思ってしまいます
 
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プロフィール

氏名:小林 能尚(コバヤシ ノウショウ)※令和5年、還暦をむかえました

昭和38年、秋田県の寺の次男として生まれ

平成元年、大本山 總持寺で3年間修業の後

縁あって、札幌で25年間お参りをさせていただきました

 

その間に、苫小牧市に師匠と共に《光澤院》を建立するも

発足して間もなく師匠の体調不良の為

苫小牧から札幌に移転

令和元年より、札幌に加え、東京都を中心に一都三県で活動をさせていただいております

 
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